「再び国民が一つになる契機となれば…」 初のセウォル号ドキュメンタリー『ダイビング・ベル』の監督、イ・サンホ、アン・ヘリョンに聞く

Q映画『ダイビング・ベル』を企画・制作することになったきっかけは何ですか?

 

イ・サンホ|ペンモク港の現場へ行ってみてはじめて真実が沈没していることを目の当たりにしました。メディアが報じる大部分の内容は嘘であり、その背後には自らの失策を隠ぺいしようとする政権の意図がありました。時間が経つにつれ、「4.16セウォル号の惨事」が急速に忘れ去られていく状況において、「映画」という大衆媒体を通して、これまで報じられなかった事件の真実を水面上に引き揚げねばならないと決心しました。

 

アン・ヘリョン|(潜水鐘という)ひとつの糸口、手がかりをもって「セウォル号」の真実とは何かについての論議が再び起こり、互いの痛みを再び想起することができればと思いました。そしてそれらを機にもっと安全な国へと向かって欲しいという願いをもって映画を製作しました。

 

Q4.16セウォル号惨事」は数多くのメディアを介し報道されてきました。「映画」、特に「ドキュメンタリー」というジャンルを通してその物語を再び取り上げた理由は何でしょう?

             

イ・サンホ|「ニュース」という媒体は消費されるだけで、直接的な行動に結びつきにくいんです。韓国社会の構造的な矛盾が克明に現れた「4.16セウォル号惨事」は、持続的な真実究明が必要な問題です。そのため、「ニュース」よりは、「事実(Fact)」に「物語(Story)」を加えたドキュメンタリーという媒体が、セウォル号の問題に関する本格的な行動を引き起こすのに適していると思いました。 

 

アン・ヘリョン|ドキュメンタリー制作の意義は、現場の悲しみや痛みの瞬間を直接的に共有することはできなくても、それらを最も生々しく大衆に伝えることができる、という点にあると思います。大衆に向け、行動を促すことができるし、論議を引き起こすことができるし、さらにはその論議が、韓国のもつれの構造や矛盾の構造を解消し熟成させていく糸口をもたらすことができるという点で、「4.16セウォル号惨事」もまたドキュメンタリーとして作られる必要があると考えました。

 

Q「セウォル号惨事」が発生してから180日余りが経ちましたが、変わったものは何もありません。このような状況で、映画『ダイビング・ベル』が社会的にどのような役割を担うことが望まれますか?

 

イ・サンホ|「ニューヨークタイムズ」で「セウォル号惨事のあと、大韓民国の国民はしばらくの間ひとつになったが、政府とメディアによって再び二分している」という内容の記事が掲載されました。私はこの映画が事故直後のように、再び国民をひとつに結びつける契機となれば良いと思います。

 

アン・ヘリョン|『ダイビング・ベル』は、なんら罪のない無辜の市民が犠牲を強いられる構造に対し、責任を取るべき権力者と、そういった権力の監視者であるべきメディアに関する物語です。私は映画を通して、批判ではなく疑問を投げかけたかった。非常に些細な糸口に過ぎないこの疑問を通して、セウォル号を取り巻く過程をひとつひとつひも解いてゆく時、セウォル号惨事の全体像、ひいては韓国という国の全体像が露わになってゆくと思います。