石川雷太(現代美術家)-現在の日本に住む私たちの多くは、平和な日常の中で、「国境」も「民族」も「国家」も「差別」も「戦争」も他人事と思い込んではいないだろうか?しかしそれは間違いだ。今この瞬間も「見えない壁」が至る所にある。複数の「歴史」と複数の「物語」が私たちを分断している。私たちはいったいどの「物語」を信じればいいのだろうか?日本?北朝鮮?韓国?アメリカ?・・・どれも違う。私たちの<物語>は私たち自身の手でつくっていかなくてはならない。分断のない未来へ向けた私たちの<物語>をつくる、その<ヴィジョン>をみなに伝える、それこそが最高の<アート>だ!2010年末、東京の枝川朝鮮学校、取り壊し直前の旧校舎を全面解放して行われた奇跡のアートフェスティバル「YAKINIKU Artist Action in 枝川」、在日と日本人のアーティスト有志総勢50名による「見えない壁」を乗り越えるための<アート>の試み、この本はその記録です。ぜひ手にとってご覧下さい。

 

アライ=ヒロユキ(美術・文化社会批評、プロジェクト賛同者)-多文化主義、コミュニティアート、アーティスト・イニシアティブ・・・。90年代以降、輸入された幾つかの海外動向も、日本の風土に根づいたとき、ともすればその「核心」は曖昧となる。逆に、トレンドへの配慮なしに、作家や賛同者たちがやりたいことをやった「YAKINIKU-アーティスト・アクションin枝川」は、凡百のアートプロジェクトにはない輝きを秘めている。その記録集がこの本だ。

本プロジェクトでは、東京都江東区の東京朝鮮第二初級学校、通称・枝川朝鮮学校の校舎建て替えを契機に、その校舎が刻んだ歴史性、地域性を触媒に2010年12月にアーティストたちがさまざまな表現を展開した。これは反権力のプロテストではない。しかし、日本社会の中で「不可視」の存在とされた在日コリアンを題材にすることは、政治性が不可避となる。参加作家のひとりは、その動機を(日本社会との)「見えない線」を確かめたかったからと語る。

ここにはキュレーターというコンセプトリーダーはおらず、作家たちは展示する意義、意味を自分で模索し、互いに議論し合い、作品に残した。展示記録だけでなく、実行メンバーの詳細な議論が収録されているのも見所だ。市場性や市民への配慮、業界習慣などの枠を取っ払ったところに生まれる表現。それはこの国で希有なアートの自生であり、それが朝鮮学校という場で可能であったことにいまの日本のアートの状況が端的に示されている。

 

武居利史(府中市美術館学芸員)-アートの力とは何か?3・11以後、そうした議論が盛んだ。アートは、人々に精神的な癒しや励ましを与える一方で、現実の問題にどういう解決策を与えるのかといった疑問もよく出される。が、具体的な答えを出しえないからこそ、アートは社会的に機能するという逆説も存在する。個人の表現としてのアートは、組織や制度の枠組みをはみ出し、人々を結びつける触媒のような役割を果たすことがあるからだ。アートによるコミュニケーションの力である。

この記録集は、イベントのデータや参加者のコメントはもちろん、企画、準備、実施、反省に至る、すべてのプロセスをオープンに収録している。スタッフには、民族学校の関係者もいれば、これまでまったくかかわりのなかった人もいる。多様な立場の人々が、メーリングリストなども使い、討論をかさね、相互に認識を深め、イベントを実現していった様子は、読むだけでも感動的なものがある。

日本社会に存在している朝鮮学校という場所には、どちらが内で外かをあえて語らぬまでも、そこにはお互いに「見えない線」があったのかもしれない。だが、このプロジェクトは、その境界をアートによって超えていくことできた稀有な試みだった。行政が関与する大型のアート・プロジェクトも珍しくない時代にあって、ささやかだけれどもアートというものの本領が発揮されたイベントのように感じている。